指導者インタビュー Vol.2 秋山未空さん

インタビュー

教員としてサッカーに携わる日々

教員を志したきっかけ

秋山:指導者になりたいというより教員になりたいという想いが1番でした。中学校3年生の時に、クラス対抗の駅伝大会があり、体育委員としてクラスの練習を仕切っていました。やる気のない子や走れない子は見えないところで歩いてさぼったりするんですが、それでもみんなで頑張ろうよと声をかけていました。ある日クラスで1番走るのが遅い女の子が、当時は携帯がないので、家に電話をしてきて、土曜日自主練するから付き合ってって言ってきてくれたんです。それならみんなでやろうとなって、みんなで走ったりしたのが、きっかけで先生になりたいと思うようになりました。

松田:誰かの心が変わる瞬間に立ち会ったという経験があるんですね。

秋山:そうです。これをきっかけにクラスや学校に将来も携わりたいなと思うようになりました。

鳥取城北高校へ赴任

秋山:茨城の採用試験に落ちてしまい、路頭に迷っていたところ小林美由紀さん(現:WEリーグ理事)から今の高校が女子サッカー部を新設するから指導者を探してるということで紹介していただきました。学校自体が部活にかなり力を入れているので、指導者として今もサッカーに関わり続けているという感じです。

これまでの活動について

秋山:今季で8年目になりますが、1年目は14人でのスタート。その内12人が初心者で2人が経験者でしたが、途中で辞めてしまった選手もいて、最終的に1期生は9人で卒業しました。2期生からは徐々に力のある選手たちが入り、1期生が3年生になった時に初めて県で優勝しました。その後3期生も県で優勝、4期生が今まで以上に力のある選手が揃っている代で、その代は小学生の頃に中国で2番になり、中学校でバラバラになったけれど高校でうちに集まってくれた鳥取出身の子達でした。その子達が2年生の時に、初めて全国に出場することが出来ました。

松田:そこに至るまで様々な苦労があったと思います。

秋山:正直、県で優勝するまでの3年間は選手や保護者との軋轢がかなりありました。先生がやってきた世界と鳥取のレベルは違うと言われたり、こんなことをして絶対勝てるわけないとやめてしまう子がいたりしました。また4期生が1年生の時から8人が試合に出ていたことが原因で揉めることもありました。ただその後結果が出るようになってからは、揉め事も少なくなってきました。そういった意味では、結果を残すことは重要なことなんだなと思います。ただ、その目標を乗り越えるための厳しさのラインがすごい難しいし、結果が出るまでがすごく苦しいのが指導者なんだと思います。

松田:今は保護者の発言力も強くなり、多くの指導者がそれに悩まれている印象です。

秋山:そうですね。また、来年度からは選手権が各都道府県1校の代表制になりましたが、今までは中国地域の中で岡山の作陽高校と広島のAICJの牙城をどこも崩せない状況がずっと続いていました。うちの高校もだんだんと選手が集まってきたので、どうにか頑張れば倒せるかもしれないという気持ちに変わってきていますが、2強に対して太刀打ちできない状況に対して、いつまでこれを続ければいいんだろうというマインドになってしまったこともあり、モチベーションを保つのは大変でした。今後は代表制になったことで言い訳がきかない状況にはなりますが、実力でぶつかれるチャンスをもらえたことをありがたく思います。

支えとなった指導者の存在

秋山:1番影響を受けた指導者はやはり大学の時お世話になった由衣さんですが、身近な存在としてロールモデルになっているのは池田浩子さん(現:JFAコーチ)さんです。作陽高校の雑誌の切り抜きは家にたくさん貼ってあって、迷った時はそれを見てよし頑張ろうとなります。言っていることや考えていることのベースが一緒だなと感じるし、自分も頑張ればこうなれるかもしれないと思わせてくれる存在です。

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