スポーツに関わる方々の想いを発信することで、女性やスポーツのエンパワーメントに繋げたいという気持ちでスタートしたインタビュープロジェクト。記念すべき1回目はサッカー指導者の柴山真由美(しばやままゆみ)さんです。
サッカーとの出会い
幼馴染とともに
柴山:地元に1つ下の幼馴染がいるのですが、その幼馴染の3つ下の弟が少年団に入団するのをきっかけに、一緒に練習に混ぜてもらうようになったのが始まりです。私が中1の時はサッカー部に入れてもらえませんでしたが、その幼馴染が入学してきた春に女子2人が入るならOKとなりました。そこから女子のトレセンにも行き始めて、そこでコーチが女子のチームがあることを教えてくれました。そのチームが釧路にあり、家から車で2時間半から3時間くらいかかるところでしたが、そこしかチームがないのでとりあえず大会だけ出る形で所属していました。
松田:3時間?!お父さんお母さんも大変ですね。
柴山:そうですね。電車で行って、コーチの家に泊めてもらって大会に出る時もありました。元なでしこJAPANの高瀬選手とかも出身が同じで、チームも同じなので、似たような感じだったと思います。北海道あるあるってやつですね。
柴山:今は北海道も女子サッカー部がある高校が増えましたが、私が高校生の時は札幌か室蘭にしか強いところがありませんでした。しかし、そこに進学するのが家庭の事情的に厳しかったので、地元の高校に進み、男子サッカー部に所属しました。同時に北見で女子チームを作ってくださいと自分がトレセンのコーチにお願いし、作ってもらいました。チームと言っても、 女子トレセンに来てた同世代ぐらいの子たち中心に7,8人とかしかいないような感じでしたが。
松田:男子サッカー部での活動はどうでしたか?
柴山:顧問の先生は女性で、大学の時に新潟大学でサッカーをしていて、社会人になってからも地域リーグでプレーしながら審判活動をしている方でした。その人がきっかけでこの高校に進学し、試合は出れないけれど、所属するのは構わないということで受け入れてもらいました。先輩もチームメイトも理解ある方々でありがたい環境だったのですが、やはりフィジカル的な差で練習についていけず、1年半くらいでやめました。
怪我をきっかけに指導者の道へ
JAPANサッカーカレッジに入学
柴山:高校に入る段階で、サッカーカレッジに行くことは決めていました。大学に行きたい気持ちはあったけれど、当時大学サッカーに対して、すごくレベルが高いっていうイメージがあって、上手い人しか入れないんじゃないかっていうのと、バイトもやらなきゃいけない家庭事情だったのもあって断念。サッカーカレッジなら授業でサッカーをやれるし、バイトもできるし、まだその頃はチャレンジリーグに上がる前だったので自分の競技レベル的にも合っているかな、と。ちょうど自分が入学する時にチャレンジリーグに上がってしまいましたが。(笑)
松田:競技レベルが上がってしまいますね。(笑)
柴山:そうなんです。結局入学半年後くらいに前十字靭帯を切りました。そこからメンタル的にすさんだ状態になってしまい、結局卒業することなく2年生の12月頃に中退して、地元に戻りました。しばらくはサッカーに関わることなく、就活をして、一般企業に就職しましたが、半年ぐらい経ってからサッカー関係の人と連絡を取るようになって、再び趣味でサッカーをやり始めました。それと同じくらいのタイミングで「トレセンに遊びにおいでよ」と、あるコーチの方からお誘いいただき、指導にも関わり始めました。
度重なる怪我
柴山:23か24歳ぐらいの時にもう1回ちゃんとサッカーをやりたいと思い、25歳の年に釧路に引っ越し、チームに所属し、再びサッカーを本格的に始めましたが、その秋にまた前十字靭帯を切りました。体を戻して、次の年にノルディーアにもチャレンジしようと思っていたのですが、2回目の手術となるともう選手は無理だと思い、指導者になるしかないという状況になりました。その時、恩師であるコーチが小学生のクラブチームを見ていて、そのコーチにお声がけしてもらい、お手伝いみたいな感じで行くようになりました。そこからが本格的な指導者スタート。ちょうど小2とか小3が女の子がいっぱいいる学年で、そのまま2年ほど釧路のそのチームでお世話になりました。その頃からサッカーで食べていきたい気持ちにもなりつつ、そんなとこないからどうしようかなって思っていて。そしたら地元に唯一あるクラブチームが女子チームを作ることになり、コーチとして雇ってもらえることになりました。地元にまた戻り、指導者として初めてサッカーを仕事にするという経験ができたのですが、そのチームでは嫌な思いをすることがありました。
当時感じた嫌な思い
柴山:まず、ホームページのプロフィールにコーチはみんな選手歴を載せるのですが、自分だけそれを載せてくれませんでした。「一応選手をやってたんですけど」と言うと「いや、どうせどのチームかわからないから載せなくていいんじゃない」って言われて。私が育ったチームはこのチームの隣町にあるというのに認識すらしておらず、しまいには「どうせクラブチームじゃなくお遊びのチームなんでしょ」とも言われ、自分が今までサッカーをやってきたことや自分に関わってくれた人すべての存在を否定された気分になりました。
また、女子の小学生に指導していた時に、その先輩コーチに「お前の練習、この子たちに合ってねえ」と子供がいる前で罵られ、「子供がいる前でやめてください」と必死に言ったのにやめてくれませんでした。そういった嫌なことが重なり、そのチームは1年で辞めました。
松田:自身を否定されたと感じる経験は悲しいことですが、そういうことが実際に起こっているということは伝えていく必要があると思います。差別を平気でしてしまう人やたまたま自身が恵まれた環境にいてそのような現象があることを知らない人がまだまだ女子サッカーの指導者や関係者にたくさんいるので、その事実をちゃんと届けないと、個人レベルの話として捉えられてしまうと思います。本来しなくていい経験なので価値のあるお話とはあまり言いたくないですが、すごく重要なお話だと思います。
そして現在のチームへ
柴山:そのチームを辞めるタイミングで、帯広にある高校の女子サッカー部の監督やらないかと声をかけてもらいました。ただ学校自体が荒れている感じがあったのと、高校生は今まで指導経験がなかったので、色々ビビってしまい、断ってしまいました。後々、周りの人からなんで断っちゃったのみたいな感じで言われて、行けばよかったなと後悔しました。次もしそういうお声がかかったらどこでも行こうと思いながら、以前のように普通の一般企業で働きながらボランティアコーチをする生活をしていたら、今のチームから連絡がありました。


